友人に教えてもらって大人の科学を買った。
テオ・ヤンセンのビースト。
すごい素敵。
週末にテオ・ヤンセン展にも行くことになった。
ツイッターでもちょっと書いたけど、
工学にも興味ある。勉強したいなあと思った。
私の言う勉強したい、というのは「自分で作り出せるようになりたい」という意識と「知識を飲み込み、計算できるようになる」という文字通りの勉強の意味がある。
学校とか通って適度に基礎知識を詰め込まれて、テストや実技も体験できてーっていうのがいいなぁって思ってしまうが、
自分の大学のときの授業態度を思い出すと、全然勉強できないので、きっとあんまり意味無い。
それに勉強したいと思ったら独学でも勉強すればいいのに、最近自分が勉強するのって本当に差し迫ってその技術が必要なときだけだなぁと思う。
もっと広く深く勉強しなきゃその場しのぎの知識が模倣にしかならんのに・・・
どうもぬるくぬるく生きてしまってイヤんなる。
これでも作りたいと思ったものに幅広く手をつけてはいるが、こんなの移り気な趣味なだけだものな。
何か焦がれるような作品を見たときに思うのは、「こんなものを作りたい」という気持ちと「この人にはなれない」ということだ。
勉強すれば技術は身につくけど、勉強するのも大変で、そもそも同じものが作れる技術が身についても、別の人間なのに同じものを作るんじゃ意味がないのだ。
人生は足りてないのに、死ぬ気で何かをしようとも思えない。というか死ぬ気で何かをしよう思うと同時に凄い不快感を感じてしないほうが良い気分になる。
もどかしい。
もどかしいのだー。
でも今のヌルヌルした生き方でも悪くないと思えるのは、
まだかろうじてものを作っているから。
作らなくなるよりはマシだ。
言い訳だらけの日々でもまだ作っている!
まだ興味ある分野もいっぱいあるし、まだ何か得られる可能性も生み出せるものもあるかなーと思う。
頑張ろう。
大きいものと、動くものはそのうち作りたい。
立体物の製作がだんだん増えてきたから、ちょっとは脳みそがそっちにシフトしたかも。
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