私は常に誤解を受けそうだなあと思っている。
でも相手がそう思ったのならそれは誤解ではなくって、自分がそういう風である、ということかもしれない。
他人に自分のコトを言われたときに、そうか、と思うときと、違う!と思うときがある。
そうか、と思うと自分がそういう風になっていってしまうことがある。
言葉に自分のほうが近づいていってしまう。
違うと思ったことのが案外自分に近かったりもするだろう。
認められる自分と認められない自分がある。
そういうことかな。
何事も言葉にすれば陳腐だ。
良い言葉と悪い言葉があって、
悪い言葉が多い文章は暗くなったり毒をもったりする。
ここには悪い言葉が増えた。
良い言葉を忘れたわけではない。
この上の二文だけでも違うのがわかるだろうか。
優しい言葉、嬉しくなるような言葉、綺麗な言葉、楽しい言葉
知ってるけれど。
そんなもので埋め尽くせるほど自分は
なんだろう
わからなかった。
必要になれば、そのときが来れば、そうしたいと思ったら
埋め尽くすだろう。
今じゃないんだろう。
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